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遊楽日記
焦らず気負わず気ままに迷走中 
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大嫌いな人間が一人いる。


コンサート直前。
早瀬礼司(ハヤセ・レイジ)は苛立ちを表すようにカツリカツリとブーツの足で床を叩きながら、楽屋のある通路の奥を見据えていた。
気を紛らわすように何度も相棒のギターを握り直し、頭に叩き込んだメロディを反芻する。
だが、どうにも集中できなくて、

「……遅い……ッ!」

先程から何度も零した言葉を再び口にする。

同じステージに上がるメンバーと、支えるスタッフの諦観混じりの苦笑がいやに耳についた。


 


曰く、「歌いたい曲がある」と。
三日前珍しくリハーサルに現れたと同時来栖香介が言い放ったその一言は、正に地獄絵図を引き起こしていた。
それぞれに書き起こしたらしい全くの新譜をそれぞれの共演者に押し付けて、コレが無いと歌わないとまで言い放ち。…早瀬などはどれだけ身勝手なのかと頭に血を上らせたものだが、それでも要望は叶えられこうして開演は間に合っている。
それはここ数年来栖の我儘に付き合わされ続けてきた自分たちバックバンドと、此処のスタッフの実力だろう。

新曲の名は「Prayer」 祈りそのもののような曲

ここ三日早瀬は寝る間さえ惜しんで、その全くの新曲を指に覚えこませて来た。
自分がコンサートを台無しにするわけにはいかないと、他の曲の調整もしながら必死で。
早瀬は決して天才ではないのだ。―――だというのにそれなりに複雑なコードを、血がにじむほど反芻してやっとモノにした。


なのに、肝心のあいつが、遅い。


何時間も待たされた気分だった。本番を控えた緊張混じりのストレスが頂点に達するかと思えた時、やっとのことで機材やスタッフを避けながら近づいてくる二人が目に映る。
傍まで来るのを待てず、早瀬は苛立ちを多分に混じらせた怒声を張り上げた。

「…やっと来たか来栖香介!?アンタの我儘に合わせてこっちは死ぬ気で開演間に合わせたつもりなんだが!?…そのアンタが遅らせる気かッ!」

それに返ってきたのは、どこか醒めた視線だった。

「…曲、モノにしたんだろうな?」
険悪な言葉を何も感じないように無視して、当然のように来栖は聞く。

早瀬は、自分の顔が更に引き攣るのがわかった。
「間に合わせたって言っただろう…ッ最後のリハだけ参加で、それでそのままの本番、不安じゃないのか?」
「…ああ?何言ってんだお前。リハに何か問題あったか?…っつうか、出来ないんなら最初っからやらせようとしねぇよ。」
傲慢な歌い手は少しも早瀬を見ようとせず、どこか虚空に視線を彷徨わせたまま続けた。
「…まぁ、少しくらいミスしてもいいけどな。俺が歌ってるんだ。俺以外誰も気にしない。」


―――それはつまりお前なんかどうでもいい、と。
切り捨てるような言葉に、カッと頭が熱くなる。


こいつはこういう奴だ。

(わかってる)

悪意は欠片もない。

(わかってる)

思ったことを、そのまま口に出しただけだ。

(…わかってる、尚悪いッ!)

ギリ…ッと強い力で握りしめたギターが軋む。このままだと、大事なギターで殴りかかってしまいそうだった。

どろどろとした感情を抱えたまま睨み据えても、既に目前のステージに集中している歌い手は少しも気づかない。

『一番ステージに高揚しているのはもしかして来栖自身なのかもしれない』

…断トツに不真面目な態度を続けておいて尚、早瀬にさえそう思わせるほどにどこか別の場所を睨みつける目は真剣だった。
死に物狂いで練習してきた自分が、惨めに思えるほどに。

知っている。こいつは歌い手でありながら弾き手で、その気になれば早瀬よりも上手くこの相棒を弾きこなすのだ。

…作曲も、演奏も、何も。

指が裂けるほど努力しても敵わないと、絶望さえさせる程に。

いっそ他の奴らのように、別格視してしまえば楽だろうとも思う。

だとしても、…絶対に諦めないと決めていた。


―――だから今、暗いステージに上がる。


ステージの少し奥、やや客席から離れた立ち位置に立つ。

緊張感に満ちた闇の中で、一気に開けた空間と、一瞬ざわついた雰囲気を感じた。

手の中で今か今かと解放を待ち受ける相棒と、
先程までの不真面目で怠惰な彼とは別人のような存在感を纏った背中を痛いほど意識する。

最上の音楽を奏でるためだけの存在―――まさしく、ひとつの楽器そのものに切り替わったような、どこか違和感を覚える背中。


ゆっくりとステージの明度が上がっていくにつれて、

身構えるように客席のざわめきが引いていく。


―――あいつは此処に俺がいることを、本当に知っているのだろうか。

―――俺は本当に、アレに追いつけるんだろうか。


憧憬にも近い想いはそこで終わらせ、鋭く息を吸い込んで身構えた。



…あいつの呼吸は俺が一番よく知っている。



思った通り観客がまだはっきりと人影をとらえきれないだろう瞬間に。


彼の呼吸で、


彼の意思で、


彼の衝動が命じるままに来栖は歌をはじめた。



『If I'm an apostate,

  obedient saints blame me the same as you did―――――!』



―――必死に追いかける早瀬を、意識さえしないまま置き去りにして、踏みつけて、巻き込んで、翻弄して、引きずって、高めさえして。



この日のコンサートも結局、大成功だった。


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